痛みと泣き疲れて眠った俺は目が覚めると再び自室のベッドで寝かされていた。
「あら?目が覚めたのね。おはよう、リオ。随分と男前な顔ね、調子はどう?」
母はベッドの右横に椅子に座り看病していた様だ。そして俺の顔を覗き込む様に前屈みになり大きく腫れ上がった頬を見てクスリッと笑った。
「おはよう、母ちゃん。顔が熱くて、口の中が血の味がする。頬も痛い。それでも俺はカッコ良い?」
俺は母に顔のことを指摘されてようやく左の視界が見えにくくなっている事とズキズキと痛む事に気が付いた。そして左手で頬を撫でながら自然と折れた乳歯があった歯茎を舌で触りながら苦笑いした。
「うふふ、そこら辺にいる見た目だけの優男よりは大分ね。それと頬、ごめんね。今、治してあげるから…。”主よ、私に癒しのお力をお貸しください。ヒール。”」
母はもう一度クスリッと笑うと椅子からベッドに座り直し、右手で腫れた頬をチョコンと触りながら回法を行う。
「冷たい様な温かい様な不思議な感じがする…。前に神殿で切り傷を治してもらった時はこんな感じじゃ無かったなぁ…。それになんだか、むず痒いし…。」
回法を行う母の右手からは湯気の様な”白色の何か”が放たれた。
その時に俺の腫れた頬に感じた感覚で近い物は前世でもお世話になった湿布である。しかし、その感覚は全く同じでは無く腫れた頬に触れる”何か”がヒンヤリと顔の熱を奪う。その直後に患部をじんわり温め、強い痒みを伴いながら少しずつ元の形に治していく。
「前に神殿で受けた時はどんな傷だったの?」
母は治癒の手を止める事なくその時の状況を聞いてくる。
「うん。ほら、前に受けた、草刈りの依頼でね。草を引っ張った時にちょっと手が切れちゃったみたいでね。ベルボって修道士さんにご褒美に治療してもらったんだ。」
俺は左手を見せながら右人差し指で傷口があった場所をなぞる様に見せて伝えた。
「そうなの。良かったわね。それじゃあ、今度一緒に挨拶と寄付をしに行きましょうね。」
「うん。その時は父ちゃんも一緒連れて行こう。なんか、アラン爺ちゃんの幼馴染の友達みたいだよ。」
俺は母に共感する様に返事をし、治療をしてくれたベルボ修道士と祖父の関係性を伝えた。
「それなら尚更ね。はい、治療終わり。さぁ、リオ、朝ご飯食べましょ?」
母は俺の頬からそっと手を引く。腫れた頬は時間にして1〜2分程度で元の形に戻った。しかし、折れた乳歯は母のヒールを持ってしても生える直すことはなかった。
「うん。俺お腹がペコペコだよ。」
俺は治った頬を左手で爪を立てる様に掻きむしりながら、母と共に食事部屋に向かった。
「おう、リオ、おはよう。調子はどうだ?」
父は台所で料理の下準備やスープ、サラダ作りをしながら後ろを振り返り調理を一時中断する。
「うん、母ちゃんのヒールを受けたからもう治ったよ。調子は…とにかくお腹減った。」
俺は右手でお腹をさすりながら父に空腹である事を伝える。俺のお腹からは都合よく空腹音は鳴らなかったが、鼻を刺激する調理の香りに溢れ出す唾液をゴクリッと唾を飲み込んだ。
「そうか。なら、飯を食おうぜ。俺も腹が減っていたんだ。」
父は俺の様子を見て笑うと、いつもの明るい表情でお腹をさすった。
「うん、でもその前に父ちゃん、母ちゃん。改めてだけど、思ってもいない事を口にして、ごめんなさい。」
俺は両親に体を向ける様に2歩後ろに下り再度、最敬礼の謝罪を行う。
「おう、俺もお前を殴っちまって、ごめんな。」
父は右手で後頭部を掻きながら申し訳ない表情で謝罪する。
「いや、それについては、自業自得だと思っているから気にしてないよ。それに前からグラグラして気持ち悪かった歯も抜けたし。むしろ気分はスッキリしたよ。」
俺は両手を胸の前にかざし、左右に振りながら父は悪く無かったと身振り手振りを行う。
「うふふ、それなら良かったわ。でも、2度と”生まれてくるべきじゃ無かった”なんて悲しい事は思っても駄目だし、口にしてはもっと駄目よ。分かった、リオ?」
母はそんな俺達を見て笑うと、表情を引き締めてゴチンッと一回だけ俺の頭に軽く拳骨を叩き込んだ。
「うん、とても反省しているよ。」
俺は母の拳骨を素直に受け入れ、肉体への痛みは無かったが心の痛み感じ、自分が口にした言葉を後悔した。
「俺からは、そうだな…。リオ、恐怖に怯える事は、そこまで悪い事じゃないんだ。」
父は俺に何を伝えるか少し考えると、説教の時に伝えきれなかった思いを発した。
「えっ?そう…なの?」
「まぁ、側から見たら、そりゃ無様だしカッコ良くはねぇな。でも、恐怖を知っているから大事な場面で引き際を間違えなくて済む。恐怖を知っているから相手にそれを与えたらどう思うか、お前ならもう分かるだろ?」
父は俺の鳩が豆鉄砲を食らった様なキョトンとした表情に苦笑しつつも、最後は俺の目線に合わせる様にしゃがみ込んだ。
「うん、分かるよ。」
「人の痛みや苦しみを経験して、いっぱい悩んだり考えたりして理解するから、人は優しくなれるんだ。分かったか、リオ?」
父は右手で俺の頭をポンッポンッと優しく叩きながら笑顔を浮かべた。
「うん、ありがとう、父ちゃん、母ちゃん。」
「そんじゃ、早く飯を食おうぜ!」
「うふふ、そうしましょう。リオ、準備を手伝ってくれる?」
「任せてよ!母ちゃん。」
俺達は少し遅めの朝食を摂るために3人で役割分担を行い食事を進めた。
「そういやリオ、昨日爺ちゃんからの伝言があってな。”30日後から戦闘訓練を再開する。それまでに今後の身の振り方を考える様に。”だってよ。」
父は食事の終盤に差し掛かったところで、俺に祖父の伝言を伝えた。
「つまりは、訓練再開までに冒険者を本気で目指すか、それとも別の道を模索するか。気分転換をしながら考えなさいって事よ。」
母は祖父の伝言に付け足し、俺にその意図を分かりやすく噛み砕いて説明した。
「うん、分かってる。」
「リオ。前にも言ったが、俺達が冒険者を続けているから、お前に言える立場じゃ無ぇ。けどな、俺達は正直言ってお前には別の道を進んで欲しいと思っている。」
「…。」
俺は食事をやめて真剣な表情で話す父に体を向けて黙って話を聞いた。
「お前は俺のガキの頃に比べたら、とても賢い自慢の子だと思っている。お前なら今から師事すれば成人までに、婆ちゃんの鍛治やお義母さんの薬師で食っていく事も十分に出来るだろう。」
「リオ、勘違いしないでね。アタシらは、貴方に意地悪を言っている訳じゃ無いわ。ただ、危険な事をしてほしく無いって思っているだけよ。アタシらは、例えリオが冒険者じゃ無くても、誰も貴方を責める事はないからそれだけは覚えておいてね。」
両親は心配している表情で何処か申し訳無さを秘めた表情で冒険者以外の道を提案した。
「…。うん、それも分かっているよ。それに、父ちゃん達が本当は俺に冒険者をして欲しく無いのは、昔から知っているよ。でも、ごめん。父ちゃん、母ちゃん。俺…やっぱり冒険者に成りたいんだ。」
俺は両親から受ける言葉に心苦しくなり顔を顰めた。ショックは無かった。普通に考えれば、親が子供に危険な事をして欲しく無い事は、どんな世界だろうと共通だからだ。
「「…。」」
両親は俺の答えに表情を変える事なく黙って聞いた。
「この3年と少しで結局、覚悟は持てなかったけど…いろんな人には出逢えたんだ。その人達との出逢いの中で迷宮の事、魔物の事、騎士や冒険者など色々な事を聞いたんだ。それで俺は、やっぱり…自分自身の目で見てみたいし、経験したい思いが強くなったと思うんだ。」
俺は冒険者を目指した後や見習い冒険者に成ってから出逢った人達を思い出しながら、両親に胸の内を話した。
「「…。」」
両親は優しい表情で見守る様な笑みを浮かべて俺の話を黙って聞いた。
「確かに、この前の戦闘訓練を思い出すと、まだ体が震えるほど怖いって思っちゃう。でも、それ以上に好奇心…って言うのかな…。そっちの方が俺には大きいんだ。俺は、父ちゃんや母ちゃんが思っている程に賢く無ぇし、その評価も買い被りだとも思ってる。だから俺は、例え間違えた選択だったとしても、冒険者に成りたいんだ。」
「そうか…。」
「そうよね…。」
両親は俺の答えに予想通りだったのか肩の力を抜きため息混じりで相槌する。
「だから…その…ごめんなさい。父ちゃんと母ちゃんの愛情や心配は、分かっているつもりなんだ。でも、やっぱり、俺は、俺の憧れの父ちゃん達みたいな冒険者に成りたいんだ。」
俺は結果的に、両親の期待を裏切ってしまった恐怖と両親に嫌われてしまったかも知れないと不安になり、頭を下げながら自身の思いを口にした。
「リオ、頭を上げろ。」
「…。」
俺は父の緊張感ある声色に内心ビビりながらもゆっくりと父に視線を向ける。
「リオ、別に悪い事じゃ無ぇから謝る事は無ぇさ。」
「そうよ、リオ。貴方の人生なのだから好きに生きなさい。でも、アタシらの思いは変わらないわ。辛くなったらいつでも辞めて他の道に進んで良いからね。」
両親の表情は少しだけ苦しさが混ざっていた笑みを浮かべた。
「うん、ありがとう。愛しているよ、父ちゃん、母ちゃん。」
「俺もだぞ、リオ。」
「アタシもよ、リオ。」
俺達は食事を中断すると、お互いに向かい合っている席から立ち上がり抱きしめ合った。
抱擁は、膝立ちになった両親を俺が背伸びしながら両手を首に回し正面から抱きしめた。反対に両親は、片腕で俺を抱きしめ返し、片手で夫婦で指を絡める様に握っていた。時間にしておよそ2〜3分だったが、その時の俺にはまるで時間が止まったかの様に幸福感に満ち溢れていた。
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