俺はシュトレインと依頼の確認をした次の日の早朝に紡錘型のパンを食べながら貴族前城門へ向かった。現在の時刻は起床時の鐘が鳴って少し経っているが、それはいつもの日課であるマラソンと祈りを終えたばかりだからだ。俺は眠気を隠す事なく大きな欠伸をしながら家の近くの大通りである凱旋通りに出ると商人たちがチラホラな様子だが店の準備をしている。
「おはようございまーす!」
俺は依頼に行く道すがら店の準備をしている商人達に大声で挨拶を行う。
「おう!坊主、おはようさん。子供なのに挨拶ができて偉いなー坊主。」
白髪の中年男性の商人が俺の挨拶に返事を返し少し疲れていた表情を直し笑みを浮かべる。
「ありがとうございます。俺、今日から城門前と凱旋通りで側溝掃除するんですみませんが他の商人さん達にも言っておいてくれると助かります。よろしくお願いしまーす!」
俺は昨日確認した道順を考えた時に大通りを通った方が安全かつ最短距離だったので、念の為に商人達に一報を伝えその場で最敬礼を行った。何故なら昨日行ったルート事前調査の段階では、共用汚物所までの最短距離の道に荷車と人が衝突しない程十分に広い道が見当たらなく必要だったからだ。城門から汚物所までの片道の距離は普通に歩いても砂時計1回分の20分前後は掛かった。一応遠回りになるが、十分な広さが確保される裏道もあるにはあったが、倍の時間が掛かってしまいそれでは仕事にならないと判断した事も要因の一つだ。また、俺が3年間暮らして来た感覚では大通りを使うのは商人だけではなかった。しかし、店舗商人や行商人、出店商人などの商人が圧倒的に使用率が高い印象があった。その為に俺は商人達に知らせなかった事で起こる無用なトラブルを回避したい意図もあった。
「ガッハッハ。そうか、そうか。ちっせーのに無理すんなよ。」
白髪の恰幅の良い高齢男性の商人は豪快に笑うと何度も頷き笑顔で俺を労った。
「ありがとうございます!おじさん達もお仕事頑張ってくださいねー!」
俺は取り敢えず確認する限り事前に伝えておいた事は間違いではない事に安心し胸を撫で下ろした。そして労われたお返しとばかりに俺は右手を頭よりも上にあげて手を左右に大きく振って応援を行い、少し駆け足で城門前に向かった。城門前にたどり着くと日中は空いている門が閉ざされておりその左右に鉛色の鎧を見に纏った2人の騎士が立っていた。
「ふっあぁぁ〜。ねっむ…。」
城門の右に立っている騎士が背伸びをした後に首や腰を捻り体操をしていた。俺は欠伸とボソッと呟いた言葉が低い声である事から男性騎士だと判断した。
「おはようございます!」
俺は2人の騎士から5m程度に離れた位置に立ち腹から声を張る様に挨拶とお辞儀を行った。
「あぁ、おはよう少年!元気が良い事だ。特に隣の奴に見習わせたい位だ!しかし、残念だが城門は昼前の鐘が鳴ってから開くからもう一度出直すと良い。」
城門の左に立っている騎士は俺の挨拶に負けじと大声で挨拶を行い、右手の甲を俺に見せる様に拳を握り右手親指で男性騎士を指さした。俺は騎士の高い声や兜の隙間から漏れ見える白い長髪から女性騎士と判断した。そして女性騎士は、首を左右に振りながら城門が開く時間でないことを告げて俺に出直す様に促した。
「おう、そうだぞ坊主。まだ門は開かねぇからもう少し待ってくれ。それよりも坊主、こんな朝っぱらからここに何しに来たか聞いても良いか?」
男性騎士も女性騎士に同意する様に注意を促すと腰に帯剣している片手剣の柄を右手を触れながら俺に事情を聞いてくる。それに合わせて女性騎士も同様に警戒して俺に右手で柄握る動作を見せる。
「はい、僕は冒険者見習いのフィデリオって言います。シュトレイン様から城門付近と大通りの側溝掃除の依頼を受けたのでスコップや荷車をもらいに来ました。これが僕のギルドカードです。確認をお願いします。」
俺は別にやましい事をしに来た訳ではないので首にぶら下げているいつもの巾着袋からギルドカードを取り出して確認してもらう為に女性騎士に両手で渡した。
(まぁよく考えればこんな朝っぱらから平民の子供が1人で貴族街に何しに来たんだって疑問になるか…。そこまで考えてなかった。反省、反省。)
「おぉ、君がフィデリオ君か…。失礼。依頼の話はフライハイト卿より伺っている。…。ふむ、確かにギルドカードを確認した。これを返そう。」
女性騎士は右手を柄から離しギルドカードを受け取り確認する。その間も男性騎士からは警戒をされる。そして女性騎士のカード返却と同時に男性騎士も警戒を解いた。
「はい、確認をありがとうございます。それで、騎士様。道具について追加支給して欲しい物があるのですがお聞きしても良いですか?」
「ふむ…。桶のことかな?それだったら承っているので持ってこよう。それとも他の道具かな?フィディオ君。」
「そうですね。昨日の段階では人と荷台がぶつからない程度の裏道か何かが有ればそっちを使う予定でした。でも、遠回り過ぎて移動だけで時間がかかり過ぎちゃうので大通りから共用汚物所に向かおうと思っています。」
俺は2人の騎士に昨日の説明後から考えた共用汚物所までの移動ルートとその経緯について説明した。
「ふむ、それで?」
「はい、それで大通りを歩く人達や商人さん達に異臭やゴミなどが迷惑にならない様に荷車を汚れて良い大きな布か何かで覆って紐で縛って移動したいのですが、そういうのって大丈夫ですか?」
俺はここにくる前に商人達に伝達しただけでは心配だったのでゴミや泥が溢れない様な簡単な工夫をする為に布と紐の必要性を訴えた。
「ふむ…。なるほど、経緯は理解した。しかし、規則上私の方で勝手な判断は出来ないが上司であるフライハイト卿に掛け合ってみよう。その為に昼前の鐘以降の返事になるがそれでも良いか?」
女性騎士は俺の訴えを受け入れた上で俺に越権行為である事を説明し上司であるフライハイトに掛け合う事を約束してくれた。
(言ってみるもんだなぁ。後フライハイト卿ってシュトレインさんの事じゃねぇんだ…。)
「はい!ありがとうございます。」
「ならば了解した。それではジェーディ、私はこれから道具を取りにここから一時離れる。後は任せたぞ。」
「おう。任されたぜ、ジュリー。坊主、少しの間待っていてくれよ。」
ジュリーと呼ばれた女性騎士はジェーディと呼ばれる男性騎士に警備を任せて道具を取りに門の隣に設置
されている金属製の扉を鍵を使い開き持ち場を離れた。
「しかし、坊主…フィデリオって言ったか?よくその歳で働いてんな。俺がお前くらいの歳頃だったら今頃ベットでぐーすか寝ていただろうな。」
ジェーディは顔を覆っていた兜のフェイスガードを上にずらして俺に話しかけた。その表情からは朝から働く俺を見てまるで信じられないものを見た様な驚きと感心が見られた。
「あっははは…。僕は両親や祖父達が冒険者をやっているのでその姿に憧れているだけです。えーっと、ジェーディ様?は何で騎士になったのか聞いても良いですか?」
俺は苦笑いを行い右手で頭をかきながら逆に質問し返した。
「ガッハッハ!俺は貴族出身じゃねぇから様付けはしなくて良い。俺の名はジェードリヒってんだ。親しい奴には”ジェーディ”って呼ばれている。よろしくな。」
ジェードリヒは俺が様付けで呼んだことに大声で笑いながら恥ずかしそうに照れていた。
「では、ジェードリヒさんですね。僕はフィデリオって言います。友達や家族からはリオって呼ばれています。よろしくお願いします!」
「おう、それで何で騎士になったか、だったか?それは特に理由はねぇな。」
「えっ?無いんですか?」
俺はジェードリヒの質問の回答に思わず聞き返してしまった。
「おう、ねぇな。あっ…。でも強いて言うなら安定した仕事をする為…だな。」
ジェードリヒは即答する様に騎士をしている理由は無いと言い放った。しかし、その直後に何かを思い出したかの様に右手で顎下を持ち首を傾げながら少し言葉に詰まりながら理由を付けた。
「そうなんですか。素敵な理由があるじゃ無いですか。」
俺は仕事に安定性を求めた結果に騎士になったジェードリヒを純粋に凄いと思った為にその理由を素敵だと言った。騎士とは前世でいうところの公務員的な立場だ。しかも騎士に求められるとしたら事務的要素に戦闘能力も必要不可欠である事はある程度予想が出来たからだ。
「おう、そういやそうだったな…。うーっん…見習い冒険者のフィデリオにこんな事を言うのは余計な事かもしんねぇが、言っても良いか?」
ジェードリヒは何か嬉しそうに笑うと突然腕を組み真面目な表情で少し遠慮がちに聞いてきた。
「大丈夫ですよ。」
「そうか…。なぁ、フィデリオ。俺も数年前まで冒険者やっていたんだ。これでも長い間Hランクだったが迷宮でも活躍してきたんだぜ。」
「えっ!?凄いじゃ無いですか!それじゃあ僕の先輩って事ですね!ん?それじゃあ何で冒険者を辞めちゃったんですか?僕みたいな見習いじゃない正式な冒険者なら安定?していますよね?」
俺はジェードリヒが元Hランク冒険者だと告白して興奮した。しかしその直後に俺は安定性を求め騎士になったジェードリヒの行動にチグハグ感を感じ冷静になった。
「そうだなぁ…。俺がこれ以上の上のランクに進めないって思っちまったからだな…。」
「えっ?どう言う事…ですか?」
俺はジェードリヒの言葉の意味を理解出来ず言葉を詰まらせる。
「そうだなぁ…。迷宮はランクが1つ上がる毎に魔物の強さが格段と上がるんだ。俺みてぇに成人と同時に冒険者になって、それまでロクに鍛えてこなかった奴らは、その度合いについて行くことが難しくなるんだ。」
ジェードリヒは苦い過去を思い出しているかの様に俺から視線を外し語った。
「そう…なんですか?」
「おう。俺も迷宮を冒険してHランク昇格から数年間必死こいて努力はしがな…,。限界を感じまってな。諦めちまったんだ。ははっ、詰まるところ挫折って奴だな。」
ジェードリヒは、何処か少しだけ恥ずかしそうに自嘲する。
「辛くは…無いのですか?僕ならそんな現実は辛くて悲しくて会ったばっかの子供になんか話したく無いですよ。それこそ普通はもっと親しい後輩やお弟子さんとかに聞かせる話だと思います。でもジェードリヒさんは、あんまり辛そうって表情じゃ無いからどうしてですか?」
俺はジェードリヒの表情から辛さではなく懐かしさ様に近い感じの印象を受けて思わず聞き返した。
「ん?そうか…そうだなぁ。フィデリオを見て”あぁ俺にもこんな時期があった”って懐かしく思ったからだな。」
「そうなんですか…。」
「それと、坊主に安定した仕事を選んだ事を素敵な事だって言われた事も理由だな。」
ジェードリヒは俺を名前から坊主呼びに変えた。恐らくは無意識に出た言葉である。
「えっ?だって素敵な事ですよね?仕事に安定を求めるのって。」
「そうだな。その通りだ。でもな、冒険者上がりって何かと偏見な目で見られる事が多いのさ。俺の場合は怪我や病気が原因って訳じゃねぇから偶に知らねぇ冒険者から臆病者って揶揄される事もある。だからかもな。今は素直に気分が良い。これが理由だ。」
ジェードリヒは少し迷惑そうな表情を見せながら元冒険者の現状を語った。そして一度頷くと少し笑顔を見たながら穏やかな表情を浮かべて俺を見た。
「そうですか…。冒険者って意外とそう言うところ厳しいんですね。」
俺は身近にいる冒険者のイメージとは真逆にある現状に悲しみを感じた。
「おっと、ちっせー癖にホントしっかりしてんなぁ。コイツは余計な事だったな。朝っぱらから仕事前にすまんな。」
ジェードリヒは、どうやら俺が怒ったり、泣いたりして感情的になると思っていたのか当てが外れて感心していた。
「そんな事はないです。とても為になるお話でした。ありがとうございます。」
俺は真面目な表情で改めてジェードリヒに深くお礼を申し上げた。
「ま、アレだ。力仕事は冒険者だけじゃねぇから見習いの内に色々やってみる事だな。俺みたいな冒険者上がりの騎士ってこの国じゃあ割といるから安心しな。だが、本気で冒険者目指すなら早すぎる努力はほとんどねぇから準備は今のうちにしておけよ。先輩からのタメになる助言だ。ありがたく受け取れよ。」
ジェードリヒは恥ずかしそうに右手でフェイスガードをして表情を見られない様に助言を行った。
「ジェードリヒさん、ありがとうございます。」
「おう、頑張れよフィデリオ。それにしても遅せぇな、ジュリーの奴。何かあったのか?」
ジェードリヒは女性騎士のジュリーが来なかった事に訝しげに金属の扉を見た。
「さぁ?」
俺もジェードリヒとの会話に結構な時間をかけたと思いながらも建物の内部構造を理解していないので首を傾げるしかなかった。
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